2008年6月28日 (土)

歴史探訪サイクリング 国友鉄砲の里資料館

歴史探訪シリーズ、長浜にある国友鉄砲の里資料館へ行って来ました。

実は勤務先が今週から能登川となり近江米の田んぼを眺めながらの通勤であります。

駅から現場までは2kmと歩けば30分ほど掛かるためBD-1を輪行しての通勤をしているのですが草津あたりまでは乗客も多く閉口します。

さてさて、昨日は非番日でありましたが現場にちょいと顔をだし、午後から湖岸道路をのんびりと長浜を目指してペダルを廻したのでありました。

能登川から湖岸道路まで右を向いても左を見ても田んぼ,田んぼの連続で本当にのんびりとしています。

湖岸に出てからは湖岸道路に沿って自転車専用道路があり、より湖岸沿いに設定されています。

ただこの道路、旧街道を通ったり、車道に沿った専用道路になったりとハイスピードで走るロードバイクには向かないかもしれないですね。でものんびり走る小径車やランドナーにはぴったりです。

彦根あたりで、遠くに城を眺めながらひと休憩。次回はひこにゃんに会いに彦根市街もポタリングしてみましょうか?

そんなことを考えながら湖岸道路をのんびりと進むと前方に長浜城が見えてきます。

ここは秀吉が建てた城として有名ですが当時、織田信長より小谷城を譲り受けた秀吉でしたが湖上交通の拠点として長浜の地に新たに城を建設したそうです。

長浜から明智光秀の居た坂本城まで船で移動、そこから京へといったのでしょうか?

今の幹線道路が出来るまでの物や人の輸送ルートを想像するのも楽しいものです。

国友の鉄砲の里資料館は駅から少し離れた場所にあり地図を確認しながら進みます。

駅前からは距離にして約6kmのところ、虎姫町との境に位置します。

この資料館の周囲には今も古い民家が点在し国友の歴史を記した石碑が沢山あります。

資料によると、堺と国友が鉄砲鍛冶で有名ですが国友はこの地域だけでなく全国の有名大名に師弟制度で人材を送っていたとされています。

又その人達が明治になって輸入された自転車(オーディナリー)をみて国産化をしたのが国友の鉄砲鍛冶だという記録が残っています。

種子島から渡ってきた鉄砲を渡されこれを造れといわれても工具もないような時代、どう工夫して作り上げたのでしょうか?

それはこの資料館に沢山説明されています。現物の火縄銃も手にとって触ることも出来るんですよ。

火薬を詰めて打つことは出来ませんが。。。

今度訪れるときはランドナーにでも乗って湖北の自然を堪能し最後に鉄砲の里資料館というコースも良いかもしれませんね。

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能登川駅でBD-1をパタパタっと組み立て

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JRびわ湖線の高架下には味わいのあるトンネルが沢山あります。

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梅雨の合間の晴天でありました。

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この長浜城の中に資料館が有ります。

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大きな資料館ではありませんが沢山の火縄銃が展示されています。

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大砲や、直に触れる火縄銃もあります。

この火縄銃でも結構な重さがあるのに大砲なんてどうやって持ったんでしょうか?

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帰りには長浜市内で少し観光を。

大阪からならば青春18切符を利用してのサイクリングが楽しめそうですね。

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2008年6月16日 (月)

NOCC 緑陰の北山へ

いつもは1人で走る保津川下りのハイキング道路をNOCCの行事として走りました。

心配された天気も曇り空ですが雨の心配もなく一日大丈夫の様子です。

JR摂津富田駅には私を含めて12名での出発と相成りました。

少し遠回りにはなりますが幹線道路を避けまずは駅の南側へと地下通路を渡る。

信号で切れるのに気を使いながら集団は芥川桜堤公園の手前から芥川沿いに北へ北へと向かいます。

樫田までの登りでは後半の山の中よりは上の口の住宅街の方が勾配がきつく車も多く気を使います。

上の口を過ぎ、少し道を逸れて原の八坂神社で小休止、ここの境内には、花崗岩製の石槽があります。昔の石風呂との説もあり、府の有形文化財に指定されています。真夏ならば、だれかさんの水浴び場に変わったかもしれませんね。

ここからは市街地を離れ採石場を越えれば新緑の中を快適に進んで行きます。登り切ったところが森林公園です。

ここでだんごやアイスクリームを食べしばし休憩、亀岡までのダウンヒル、皆さん楽しんで頂けたでしょうか?

このルートはもみじの植樹が多く紅葉の季節や新緑の時期には素晴らしい景色です。

亀岡市内に入ると綺麗に整備された城下町を抜け、旧亀山城の横を通り保津峡渓谷へと進みます。

船乗り場の横を通り少し進むと沈下橋、ここを渡りいよいよハイキング道路へと入って行きます。

いつもなら人のいない不動明王の石碑場所には二組のハイキンググループが食事中、我がNOCCもここで休憩と相成りました。

食事の終わる頃になると川上から次々と船が下ってきます。

写真を撮ったり、声をかけたりと何か子供の遠足の様な雰囲気でありました。

満腹になったところでまたまたハイキング道路を登ったリ、下ったり、次のビューポイント、トロッコ保津峡駅に到着です。ここは吊り橋の向こう側が駅になっていて橋の下を遊覧船が下って行きます。

先ほど声をかけた船も下ってくるぐらい自転車の方が速度が速いというか船がゆっくり下ってきます。

この後、六丁峠を越え嵯峨野へと下ると別世界が現われます。

ここで本日の誕生日、林氏を喫茶店でお祝いをいたしました。

当の本人はかき氷が良いと行っていましたがやっぱりケーキでお祝いしなくっちゃねえ。

この後、広沢の池から一条山越えを通り洛中へと向かいます。市内にはいると地元のF氏の先導で車の少ない道路を進みます。三条通の商店街を抜け堀川通りで京都駅へ、市内観光は又次回と言うことにしましょうか。

平坦路が無く上り下りの連続でしたが皆さん、楽しんで頂けたでしょうか?

また、楽しいルートを企画したいと思いますのでご期待下さいませ。

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摂津富田での出発後、八坂神社での小休止、坂原氏は植物に興味津々。

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新緑の山道をゆっくりとペダルを廻し高度を上げて行きます。

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高槻の森林センターで小休止、ここから亀岡までダウンヒルを楽しみます。

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沈下橋を渡りハイキング道路へ向かいます。

上手くいけばこの橋の下を船が通ります。

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ハイキング道路沿いに船が下って行くのを皆さん喜んで頂けたでしょうか?

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六丁峠を越え嵯峨野へ下ります。

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山道から鳥居本へ。突然土産物屋へ突入です。

この後、広沢の池を通りJR京都へ、皆さんお疲れ様でした。

今日も嵐山は観光客で一杯でしたね。

京都観光は又次回ということで企画致しましょう。

2008年5月29日 (木)

歴史探訪サイクリング(本能寺の変)

6月の北大阪CCの行事は「緑陰の北山へ」という題目で私の担当になっています。

初めての担当と言うことで何処にしようか迷ったのですが何時も行き慣れている保津峡のハイキング道路にさせて頂きました。

出発も自宅から一番近いJR摂津富田駅とし、枚方亀岡線で亀岡に入りハイキング道路を通って嵯峨野へでて京都駅まで戻って来るというコースを考えました。

このコース、年に5回以上は走っているのですが通る場所を見てみると「本能寺の変」に関連した所を沢山通過して行くのです。

おまけに本番の6月15日は本能寺の変が起こり、秀吉が中国大返しで瞬く間に岡山から戻り山崎の合戦で明智光秀を倒した時期そのものなのです。

時は天正10年(1582年)明智光秀は織田信長より羽柴秀吉の応援に備中高山城に行けと命じられます。

光秀は5月17日に坂本城を出発し、26日に亀山城に移り27日に愛宕山に参詣し有名な歌、「ときは今 天が下知る 五月哉」を歌っています。

6月1日の夜半、亀山城を出発した光秀は老ノ坂を東へ向かい沓掛を過ぎたころ「敵は備中に非ず、本能寺にあり」と重臣達に伝え桂川を渡り京都に入って行きました。

2日の早暁、明智軍1万3千は本能寺を襲撃、信長は騒々しい物音に目を覚ました。馬の嘶きと鉄砲の音が聞こえ、「謀反にござりまする。旗印は水色桔梗、明智が者と見えまする。」という報告に、「是非に及ばず」と答えたといいます。

人生50年、後一年と言うときに掴みかけた天下が消えて行く瞬間だったのでしょうか?

信長の天下布武は完成を見ないまま、業火の中で自ら命を絶ったのでした。

備中高松城を攻めていた秀吉は3日の夜間に信長の死を知ると、毛利氏との講和をまとめ驚異のスピードで京へ向かった。

12日に富田に到着した秀吉はここで軍議を開き決戦の場は大山崎であろうと想定、高槻の高山重友(右近)、茨木の中川清秀らと総勢4万の大軍で有ったと言います。

光秀軍は近江方面に兵を配置したこともあって山崎に集結したのはわずか1万6千であったそうです。

14日の午後4時頃、当初は一進一退の攻防戦であったが圧倒的多数の秀吉軍に加え、弔い合戦とあって秀吉軍の士気は高く、光秀軍は敗走してしまいました。勝竜寺城に立てこもった光秀でしたが逃亡する者も多くその夜、密かに脱出、伏見大亀谷から小栗栖、山科、大津を経て坂本城へ戻る計画でしたが小栗栖で土民に槍で脇腹を刺され命を落としたとされています。

こうして本能寺で信長を倒して以来、わずか十数日で光秀の「三日天下」は幕を閉じたのでした。

当日、摂津富田を出発するのですが、秀吉が軍議を開いたのがどの場所だったのかは資料を探しているのですが富田とだけ記録されている文献が多く不明です。駅の南側に多くの寺があり寺内町として栄えた歴史があるのでそちらの方だったのでしょうか?

サイクリングは北へハンドルを向け摂津峡の山を越え亀岡に入って行きます。

この地域、元は丹波亀山という地名で三重県に亀山があるので明治維新に現在の亀岡に名前が変わったと言うことだそうです。現在の亀山城跡は大本教という宗教団体が管理していて中にはいることは出来ませんが5月に「光秀まつり」というのが催され今でも多くの人に愛されているのが伝わってきます。

亀山城、JR嵯峨野線を越えると保津峡の船乗り場に出てきます。4月の桜の季節や紅葉の時期には沢山の観光客で船に乗るのも長蛇の列が出来ることもよく見かけます。この列を横目に見ながらサイクリング部隊は川下りの船と併走しながらまずは沈下橋を渡ります。

運が良ければこの橋の下、数10センチ下を船が下って行くのが体験できますよ。

その後も数kmは保津川と並行しながら走り、少し分かれてハイキング道路は高度を上げて行きます。

眼下には保津川、JR嵯峨野線、そして嵯峨野トロッコ列車と見て取れます。

2本の列車と川下りの船、3つ同時に見ることができたら気分は最高です。

保津峡駅へ出るまでに少し広いところがあるのでここで昼食を取る時間を予定しています。

トロッコ保津峡駅では吊り橋の上から景色を楽しみましょう。

この後ヘアピンの連続で高度を再び上げ六丁峠を越え嵯峨野へと下って行きます。

普通、山道から下ってくると田園地帯が少しあって家屋が増えてくるというのが当たり前なのでしょうがここは山道を下った途端、土産物の並んだ街並みに突入して初めての方はビックリされると思いますよ。

広沢の池から来た方向を見れば光秀が歌を詠んだ愛宕山が見て取れます。

一条山越を越え宇多野を過ぎれば京都市街に入って行きます。

左に仁和寺、右に妙心寺と有名な寺を見ながら一条通りを東へ東へ。

新町通りか室町通りを使って南へ下り、元本能寺町にある本能寺跡の石碑を見て貰う様、計画しています。

ここから京都駅までは歩いても20分ほどですので、時間が許せば京の町屋を見学するも良し、錦市場で買い物するも良し、皆さん楽しみにして下さいね。

出来れば簡単な歴史資料を作成して配りたいと考えています。

梅雨の季節に入ってきましたが当日は晴れますように願って下さいませ。

これに楽しんで頂けたら「姉川の戦い」、「賤ヶ岳の戦い」サイクリングも計画しようかな?

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高槻の北部、原にある八坂神社です。ここから東へ入る林道がありMTBがよく走っています。ここで休憩を予定しています。

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嵐山まで下った船はこんな風にして運んで帰ってくるんですよ。

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丹波亀山城跡です。

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沈下橋を渡り川沿いに進みます。

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川の対面をトロッコ列車が走ります。

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トロッコ保津峡駅は吊り橋の向こう側、橋の下を船が下って行きます。

左の写真の正面の山に見える白い線はガードレール、ここまで登って行かなければなりません。でもここからの眺めも素晴らしいです。

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嵯峨野を越え京都市街に入ったら最後は本能寺跡を見て貰います。

426年前にここを水色桔梗の旗で覆い尽くされたのでしょうか。

10人、20人のサイクリングでも統率するのは大変なのに、この戦国時代何万もの兵を動かし戦をするのは想像するだけでも大変だと実感します。

拡声器や携帯電話もない時代、どんな戦い方をしたのでしょうか?

最近この手の書籍にはまっている今日この頃であります。

2008年5月22日 (木)

しまなみ海道 再び

久々にトモダサイクルの仲間としまなみ海道を楽しんできました。

今回はショップに出入りしているレーシングチームとエコサイクリングのメンバーが主体で総勢11名の参加でした。

出発は神戸でなく大阪南港からオレンジフェリーに乗り東予からの走行です。

早期の申し込みか、団体割引の為か、特2の寝台で一人5100円とは割安ですよね。

ベッドにはちゃんと寝具まで用意されているし浴室も完備されています。

自転車を預かってもらうのも倉庫でなく、2等の広間に置いてもらって安心です。それだけ乗客が少なかったからでしょうか?

ビールを飲んで少し眠ったかと思う頃には東予の港に6時、到着で有ります。

この時期ならば5時頃から朝日が昇り始めるのでちょうど良い出発時間でしょうか?

さてさてと自転車を組み立て始めると皆さん、ロードレーサーに派手なヘルメット、荷物は背中に背負ってらっしゃる。私はというと山シャツにニッカスタイル荷物はサドルバッグと小さなフロントバッグ、ヘルメットでなく麻のハンチングという出で立ちであります。ちょっと場違いな雰囲気もありますがガード付きの自転車に乗るときはこれが一番であります。

東予からの走行ですので今治まで20kmほどよけいに走らなければならないので尾道までは100kmの走行となります。

それを考え、今回は施設や観光名所を寄り道する予定なしのサイクリングだったのですが結果的にはハイスピードの走行で時間がだいぶ余ってしまった感じがしました。

初めてのしまなみ海道、サイクリングロードでは信号も無い、対向車も来ないとなればついつい飛ばしてしまいですが、何回も来ている私としてはゆっくりと潮風を受けながら景色の良いところでは写真を撮りつつペダルを回したかった次第です。

何せ先頭を引っ張っているのが女性ですのでそれに負けじと数名の男性が追いかけて走るものですから、その集団の速いこと、速いこと。

休憩を予定していた多々羅大橋の手前には11時前に到着する有様です。

ここで記念撮影をし少しばかりの補給をした後、再び走り出します。そこからもほぼ休憩なしの走行で結局、尾道には2時前に着いてしまいました。走行中の平均速度は30kmを超えていたのでは無いでしょうか。

確か以前走った時は今治から走って12時間ほどかかったような記憶が有るのですが、それに比べるとなんと速すぎること。

尾道では尾道ラーメンを堪能し、地元の総菜屋さんで天ぷらなどを買い求めました。

帰路は新幹線を使ったのですがひかりは混むだろうと思いちょうど良いタイミングで入ってきたこだまへ乗車しました。新大阪止めなのか乗客も少なく自転車を11台も乗せる場所を確保するのも大丈夫でした。おまけにシートは4列でゆったり座れます。こだまの本数は少ないですがこれって自転車を使ってのサイクリングにはうってつけじゃないでしょうか。

ただし各駅でのひかりやのぞみの通過待ちの停車時間がものすごくあります。

、それでも陽のある内に自宅にたどり着けたのはびっくりでした。

今回参加の皆さん、次回はゆっくり走りましょうね。

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大阪南港からオレンジフェリーに乗って出発です。

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5時から陽が昇るので自転車の組み立ても気持ちよく進みます。

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まずは今治を目指して走り始めます。

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まずは来島海峡大橋から。

暑くもなく寒くもなく絶好のサイクリング日和です。

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こんな風景を見ると来た会がありますね。

右は料金所で詰まっています。

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走るながら肩越しにカメラを後ろを向けて撮影しています。

皆さん、顔が微笑んでいます。素晴らしい景色を堪能して頂けたでしょうか?

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次から次と橋を渡ります。

自転車道は入り口が別にあり専用道路で右へ左へ曲がりながら橋の高度まで上がって行きます。

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多々羅大橋の手前でひと休憩、ここで昼食のはずがスピードが速いもので尾道まで走りきってしまいました。ここは記念撮影スポットです。

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生口島までくればお約束のドルチェでのアイスクリームです。

食べ終わってから撮影してしまいました(笑)

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最後は渡船で尾道港へ。

帰りの新幹線はこだまを利用したのでゆったりと帰れました。

駅での停車時間は長いですが4列座席なので座り心地も満点、空いているので自転車11台を入れるのにも苦労しませんでした。

大人数での新幹線利用はこだまがお勧めです。

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これだけの自転車を車両の中に載せていました。

新大阪で皆さんと別れましたが楽しんで頂けたでしょうか。

今度はゆっくり走ろうね。

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今回の秘密兵器、NITTOのサドルバッグの固定具

クイックシャフトを使ってワンタッチでバッグを取り外しします。

でも日本で売っていません?リーベンデール社で取り扱っています。

2008年4月21日 (月)

関西友好クラブラリー2008 そのに

二日目の朝、テレビの天気予報では西からの高気圧で回復の情報を流しています。

朝食と記念撮影を済ませ拡クラブチームは思い思いのコースで走り始めます。ハンドルを西へ向け小浜方面へ向かうチームもあります。

我が北大阪CCは三方五湖を巡り、敦賀へ抜けるというルートが設定されています。

この二日間、坂のない走りは北大阪にふさわしくない峠を越えて再び滋賀県へ向かおうと坂原氏より提案があり5名が参加と相成りました。

まずは全員揃って湖岸道路をのんびりペダルを廻します。まわりには梅の木が延々と植えられていました。

有志5名は途中で分かれ美浜から栗柄谷を越えて滋賀県側を目指しました。

耳川沿いに山へ山へと入って行きます。山の上は雲がずっとかかった状態で視界がほとんど有りません。

暖かかくなった若狭路を走るつもりだったのが山に入って標高が上がるほどに気温が下がってきます。

集落の最後の地点、松屋を過ぎると道路は山からの落石で荒れ放題です。

途中には栗柄関所跡が有ったり村の跡の石碑などがあり今津へのルートの一つだったのでしょうか。

しかし自転車でも大変なのに昔は歩きや馬でこの山道を越え、まして身一つでなく沢山の魚を背負い担いでいたと想像するだけで昔の人には敬服します。

そんなことを考えながら進んでいくとなんと残雪が残って居るではありませんか。標高が400mを越えた辺りから気温がぐっと下がっていると感じていましたが冬の積雪が相当に深いのでしょうか、つづら折れを曲がるたびに雪の量が増えて行きます。

途中にあった休憩所付近では倒木や落石で担ぎの場面も出くわします。残雪が無くなる頃には道路の整備も行われるのでしょうが今の季節ではこんなものなのでしょうか?一本道のはずだったのですが最後の分岐で前方から登山者と出くわし道路状況を聞くと残雪で道路は通れないとのことでもう片方の路面状況の良い方に進むことにするとやっと今津町の施設「ビラデスト今津」や琵琶湖、竹生島が見えほっとしたのもつかの間、道路がその先で途絶えていました。

もと来た地点まで戻り道路状況が不安なところを突破するより戻るべきとの判断を下しようやく登ってきた次第です。

まあ、時間的余裕があったので敦賀に4時前には着き423分の新快速で大阪方面に帰ることが出来ました。

帰りの列車内では詳しい地図を持たなかった反省と近いうちに再チャレンジしたいということを窓越しの山々を眺めながら坂原、石神氏と話しをしながら帰路につくのでありました。

皆さん、山にはいるときは事前情報と詳しい地図をしっかり持って行きましょうね。

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朝食後に記念撮影をし湖岸道路をのんびりと進みます。

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坂原氏以下5人組は栗柄谷を目指して走ります。

途中の看板で地図を確認するも。。。

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いよいよ林道に入ってきます。気温がどんどん下がってきました。

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最初の残雪はこれ位でした。途中にはわさびを栽培しているところも有りました。

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残雪がどんどん増えてゆきます。冷蔵庫の中にいるような気温です。

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最後の方にはこんな所も通りました。右の画像自転車を押しているすぐ横はがけの下です。オー怖い。。

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福井、滋賀県との境目にはこんな休憩所が設けられていました。

この後、せっかく登ってきた道を下り敦賀へと走ったのでありました。

最後には駅前の松本澪士のモニュメントで記念撮影。

関西友好クラブラリー2008 そのいち

  関西のサイクリングのクラブチームの集まり、「第35回関西友好クラブラリー」に参加してきました。

今年は4月の19日~20日に福井県三方上中郡若狭町遊子海岸、昭和館にて開催となりました。

担当は京都のサイクリングクラブ「ウィンディ」です。

前日までの大雨も上がり、天気予報も回復方向の情報を流しています。北大阪CCのコースは湖西線、近江今津駅から出発し

保坂、熊川宿を経由して上中、大鳥羽、田鳥、食見(しきみ)、そして遊子というルートで進みます。

9時に近江今津駅集合で大阪駅を745分発の新快速でと言うことでしたが私は高槻からなのでもう一本早い列車でゆっくり出かけました。

この時間帯になると湖西線は京都発の普通列車しかないのですが空いているので自転車を置く場所もそんなに気にせずゆっくりと過ごせます。

もう少しこの列車にサイクリストが乗り込んでくるのかなと思っていたのですが私一人でした。

駅前で早速自転車を組み立て次の列車まで少し時間があるので今津の町並み、湖岸を散歩に出かけました。

駅から少し湖岸の方へ向かうと「琵琶湖就航の歌資料館」などもあり今津の歴史や特産物の展示なども有ります。

旧街道の鄙びた町並みを散策し再び駅へ戻ると、居ました居ました。北大阪CCを筆頭に夕凪CCなど全部で40から50人は居るでしょうか。皆、黙々と自転車を組み立てています。

この後、宿で聞いた話によるといつものごとく強風の為、湖西線は2時間ほど止ったそうです。

後発の方々は輪行先を変えられたりと大変だったみたいですね。

さてさて私たち北大阪CCは日本海を目指しペダルを廻します。保坂まではトラックやダンプが多く閉口しましたがその後は旧道を通ったりと楽しいサイクリングが出来ました。

熊川宿は去年訪れた醒ヶ井宿の様な古さを残した町並みです。昔の人々はここを通って京まで魚を運んだのでしょうね。

若狭熊川宿、道の駅には昔の馬止めを再現したような物がありそこに自転車を留め、昼食を頂きました。