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2008年5月29日 (木)

歴史探訪サイクリング(本能寺の変)

6月の北大阪CCの行事は「緑陰の北山へ」という題目で私の担当になっています。

初めての担当と言うことで何処にしようか迷ったのですが何時も行き慣れている保津峡のハイキング道路にさせて頂きました。

出発も自宅から一番近いJR摂津富田駅とし、枚方亀岡線で亀岡に入りハイキング道路を通って嵯峨野へでて京都駅まで戻って来るというコースを考えました。

このコース、年に5回以上は走っているのですが通る場所を見てみると「本能寺の変」に関連した所を沢山通過して行くのです。

おまけに本番の6月15日は本能寺の変が起こり、秀吉が中国大返しで瞬く間に岡山から戻り山崎の合戦で明智光秀を倒した時期そのものなのです。

時は天正10年(1582年)明智光秀は織田信長より羽柴秀吉の応援に備中高山城に行けと命じられます。

光秀は5月17日に坂本城を出発し、26日に亀山城に移り27日に愛宕山に参詣し有名な歌、「ときは今 天が下知る 五月哉」を歌っています。

6月1日の夜半、亀山城を出発した光秀は老ノ坂を東へ向かい沓掛を過ぎたころ「敵は備中に非ず、本能寺にあり」と重臣達に伝え桂川を渡り京都に入って行きました。

2日の早暁、明智軍1万3千は本能寺を襲撃、信長は騒々しい物音に目を覚ました。馬の嘶きと鉄砲の音が聞こえ、「謀反にござりまする。旗印は水色桔梗、明智が者と見えまする。」という報告に、「是非に及ばず」と答えたといいます。

人生50年、後一年と言うときに掴みかけた天下が消えて行く瞬間だったのでしょうか?

信長の天下布武は完成を見ないまま、業火の中で自ら命を絶ったのでした。

備中高松城を攻めていた秀吉は3日の夜間に信長の死を知ると、毛利氏との講和をまとめ驚異のスピードで京へ向かった。

12日に富田に到着した秀吉はここで軍議を開き決戦の場は大山崎であろうと想定、高槻の高山重友(右近)、茨木の中川清秀らと総勢4万の大軍で有ったと言います。

光秀軍は近江方面に兵を配置したこともあって山崎に集結したのはわずか1万6千であったそうです。

14日の午後4時頃、当初は一進一退の攻防戦であったが圧倒的多数の秀吉軍に加え、弔い合戦とあって秀吉軍の士気は高く、光秀軍は敗走してしまいました。勝竜寺城に立てこもった光秀でしたが逃亡する者も多くその夜、密かに脱出、伏見大亀谷から小栗栖、山科、大津を経て坂本城へ戻る計画でしたが小栗栖で土民に槍で脇腹を刺され命を落としたとされています。

こうして本能寺で信長を倒して以来、わずか十数日で光秀の「三日天下」は幕を閉じたのでした。

当日、摂津富田を出発するのですが、秀吉が軍議を開いたのがどの場所だったのかは資料を探しているのですが富田とだけ記録されている文献が多く不明です。駅の南側に多くの寺があり寺内町として栄えた歴史があるのでそちらの方だったのでしょうか?

サイクリングは北へハンドルを向け摂津峡の山を越え亀岡に入って行きます。

この地域、元は丹波亀山という地名で三重県に亀山があるので明治維新に現在の亀岡に名前が変わったと言うことだそうです。現在の亀山城跡は大本教という宗教団体が管理していて中にはいることは出来ませんが5月に「光秀まつり」というのが催され今でも多くの人に愛されているのが伝わってきます。

亀山城、JR嵯峨野線を越えると保津峡の船乗り場に出てきます。4月の桜の季節や紅葉の時期には沢山の観光客で船に乗るのも長蛇の列が出来ることもよく見かけます。この列を横目に見ながらサイクリング部隊は川下りの船と併走しながらまずは沈下橋を渡ります。

運が良ければこの橋の下、数10センチ下を船が下って行くのが体験できますよ。

その後も数kmは保津川と並行しながら走り、少し分かれてハイキング道路は高度を上げて行きます。

眼下には保津川、JR嵯峨野線、そして嵯峨野トロッコ列車と見て取れます。

2本の列車と川下りの船、3つ同時に見ることができたら気分は最高です。

保津峡駅へ出るまでに少し広いところがあるのでここで昼食を取る時間を予定しています。

トロッコ保津峡駅では吊り橋の上から景色を楽しみましょう。

この後ヘアピンの連続で高度を再び上げ六丁峠を越え嵯峨野へと下って行きます。

普通、山道から下ってくると田園地帯が少しあって家屋が増えてくるというのが当たり前なのでしょうがここは山道を下った途端、土産物の並んだ街並みに突入して初めての方はビックリされると思いますよ。

広沢の池から来た方向を見れば光秀が歌を詠んだ愛宕山が見て取れます。

一条山越を越え宇多野を過ぎれば京都市街に入って行きます。

左に仁和寺、右に妙心寺と有名な寺を見ながら一条通りを東へ東へ。

新町通りか室町通りを使って南へ下り、元本能寺町にある本能寺跡の石碑を見て貰う様、計画しています。

ここから京都駅までは歩いても20分ほどですので、時間が許せば京の町屋を見学するも良し、錦市場で買い物するも良し、皆さん楽しみにして下さいね。

出来れば簡単な歴史資料を作成して配りたいと考えています。

梅雨の季節に入ってきましたが当日は晴れますように願って下さいませ。

これに楽しんで頂けたら「姉川の戦い」、「賤ヶ岳の戦い」サイクリングも計画しようかな?

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高槻の北部、原にある八坂神社です。ここから東へ入る林道がありMTBがよく走っています。ここで休憩を予定しています。

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嵐山まで下った船はこんな風にして運んで帰ってくるんですよ。

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丹波亀山城跡です。

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沈下橋を渡り川沿いに進みます。

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川の対面をトロッコ列車が走ります。

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トロッコ保津峡駅は吊り橋の向こう側、橋の下を船が下って行きます。

左の写真の正面の山に見える白い線はガードレール、ここまで登って行かなければなりません。でもここからの眺めも素晴らしいです。

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嵯峨野を越え京都市街に入ったら最後は本能寺跡を見て貰います。

426年前にここを水色桔梗の旗で覆い尽くされたのでしょうか。

10人、20人のサイクリングでも統率するのは大変なのに、この戦国時代何万もの兵を動かし戦をするのは想像するだけでも大変だと実感します。

拡声器や携帯電話もない時代、どんな戦い方をしたのでしょうか?

最近この手の書籍にはまっている今日この頃であります。

2008年5月22日 (木)

しまなみ海道 再び

久々にトモダサイクルの仲間としまなみ海道を楽しんできました。

今回はショップに出入りしているレーシングチームとエコサイクリングのメンバーが主体で総勢11名の参加でした。

出発は神戸でなく大阪南港からオレンジフェリーに乗り東予からの走行です。

早期の申し込みか、団体割引の為か、特2の寝台で一人5100円とは割安ですよね。

ベッドにはちゃんと寝具まで用意されているし浴室も完備されています。

自転車を預かってもらうのも倉庫でなく、2等の広間に置いてもらって安心です。それだけ乗客が少なかったからでしょうか?

ビールを飲んで少し眠ったかと思う頃には東予の港に6時、到着で有ります。

この時期ならば5時頃から朝日が昇り始めるのでちょうど良い出発時間でしょうか?

さてさてと自転車を組み立て始めると皆さん、ロードレーサーに派手なヘルメット、荷物は背中に背負ってらっしゃる。私はというと山シャツにニッカスタイル荷物はサドルバッグと小さなフロントバッグ、ヘルメットでなく麻のハンチングという出で立ちであります。ちょっと場違いな雰囲気もありますがガード付きの自転車に乗るときはこれが一番であります。

東予からの走行ですので今治まで20kmほどよけいに走らなければならないので尾道までは100kmの走行となります。

それを考え、今回は施設や観光名所を寄り道する予定なしのサイクリングだったのですが結果的にはハイスピードの走行で時間がだいぶ余ってしまった感じがしました。

初めてのしまなみ海道、サイクリングロードでは信号も無い、対向車も来ないとなればついつい飛ばしてしまいですが、何回も来ている私としてはゆっくりと潮風を受けながら景色の良いところでは写真を撮りつつペダルを回したかった次第です。

何せ先頭を引っ張っているのが女性ですのでそれに負けじと数名の男性が追いかけて走るものですから、その集団の速いこと、速いこと。

休憩を予定していた多々羅大橋の手前には11時前に到着する有様です。

ここで記念撮影をし少しばかりの補給をした後、再び走り出します。そこからもほぼ休憩なしの走行で結局、尾道には2時前に着いてしまいました。走行中の平均速度は30kmを超えていたのでは無いでしょうか。

確か以前走った時は今治から走って12時間ほどかかったような記憶が有るのですが、それに比べるとなんと速すぎること。

尾道では尾道ラーメンを堪能し、地元の総菜屋さんで天ぷらなどを買い求めました。

帰路は新幹線を使ったのですがひかりは混むだろうと思いちょうど良いタイミングで入ってきたこだまへ乗車しました。新大阪止めなのか乗客も少なく自転車を11台も乗せる場所を確保するのも大丈夫でした。おまけにシートは4列でゆったり座れます。こだまの本数は少ないですがこれって自転車を使ってのサイクリングにはうってつけじゃないでしょうか。

ただし各駅でのひかりやのぞみの通過待ちの停車時間がものすごくあります。

、それでも陽のある内に自宅にたどり着けたのはびっくりでした。

今回参加の皆さん、次回はゆっくり走りましょうね。

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大阪南港からオレンジフェリーに乗って出発です。

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5時から陽が昇るので自転車の組み立ても気持ちよく進みます。

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まずは今治を目指して走り始めます。

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まずは来島海峡大橋から。

暑くもなく寒くもなく絶好のサイクリング日和です。

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こんな風景を見ると来た会がありますね。

右は料金所で詰まっています。

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走るながら肩越しにカメラを後ろを向けて撮影しています。

皆さん、顔が微笑んでいます。素晴らしい景色を堪能して頂けたでしょうか?

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次から次と橋を渡ります。

自転車道は入り口が別にあり専用道路で右へ左へ曲がりながら橋の高度まで上がって行きます。

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多々羅大橋の手前でひと休憩、ここで昼食のはずがスピードが速いもので尾道まで走りきってしまいました。ここは記念撮影スポットです。

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生口島までくればお約束のドルチェでのアイスクリームです。

食べ終わってから撮影してしまいました(笑)

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最後は渡船で尾道港へ。

帰りの新幹線はこだまを利用したのでゆったりと帰れました。

駅での停車時間は長いですが4列座席なので座り心地も満点、空いているので自転車11台を入れるのにも苦労しませんでした。

大人数での新幹線利用はこだまがお勧めです。

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これだけの自転車を車両の中に載せていました。

新大阪で皆さんと別れましたが楽しんで頂けたでしょうか。

今度はゆっくり走ろうね。

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今回の秘密兵器、NITTOのサドルバッグの固定具

クイックシャフトを使ってワンタッチでバッグを取り外しします。

でも日本で売っていません?リーベンデール社で取り扱っています。

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